手織や 虚籟庵

昭和初期の綴れ織り工芸家、遠藤虚籟の技と魂を受け継ぎ、伝統的な手織りの作品を生み出し発信し続けています。

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遠藤虚籟の技と魂を受け継ぐ織物工房

昭和初期、第二次世界大戦のさなかもその技術の高さゆえに徴兵を免れ、その生涯をかけて世界平和を祈りながらただひたすらに、曼荼羅を織り続けた綴れ織り工芸家 遠藤虚籟と和田秋野。その崇高な生き方に感銘し、綴れ織りの技と魂を受け継ごうと、虚籟さんのお墓のある鶴岡市の天澤寺(てんたくじ)境内の一室にて平成21年に綴れ織り制作をスタートさせたのが「手織や 虚籟庵」の始まりです。

爪掻き本綴れ織り

綴れ織りとは西陣織りの一種ですが、無地の部分を除いて織り幅いっぱいにヨコ糸を通さないので、ヨコ糸だけで複雑な模様が表現されるのが特徴です。一般の織物で使われる様には筬(おさ)を用いず、染色した絹糸をタテ糸にしてその下に図柄の向きを逆にした下絵を置き、それを見ながらタテ糸に対して斜め45度にヨコ糸を一色ずつ杼(ひ)で挿入し鋸歯状に削った中指の爪で掻き寄せ、さらに筋立て櫛を用いて模様を織り出します。

複雑で技量と根気を要する手法

織っている間は絵柄が表から確認できないため熟練を要する上、30cm幅のもので1日にわずか2〜3cmしか織り進めないという、気が遠くなるような根気と手間隙がかかり、技術の高さ、複雑さは絹織物の中でもとびぬけています。それゆえに踏襲する人が少なく一度は途絶えてしまいましたが、江戸時代末期に研究再興され、明治時代には美術作品も見られるほど盛行し、海外に輸出されるまでになった歴史があります。

絹織物の街を再び

また、鶴岡市はその昔、武士が刀を捨て自ら鍬を手に取り開墾した畑に桑を植え、養蚕をして一連の工程をすべてまかなった絹の街。今は桑畑をみかけることさえ少なくなってしまいましたが、自分たちのものづくりを通してこの町にかつてのように一面の桑畑がよみがえり、絹の街としての伝統のものづくりが復活するようにとの思いを込めて、2012年からは自ら畑に無農薬の桑を育て自家養蚕(古来からの品種の小石丸)に取り組んでおり、糸を紡いでものづくりをしています。さらに桑の葉の健康効果にも着目し、無農薬で自家生産した桑の葉や桑の実の商品化にも取り組み、「くわ茶」等の健康志向のお茶をプロデュースし好評を得ています。