手織や 虚籟庵
昭和初期、第二次世界大戦のさなかもその技術の高さゆえに徴兵を免れ、その生涯をかけて世界平和を祈りながらただひたすらに、曼荼羅を織り続けた綴れ織り工芸家、遠藤虚籟と和田秋野。その崇高な生き方に感銘し、綴れ織りの技と魂を受け継ごうと、虚籟さんのお墓のある鶴岡市の天澤寺(てんたくじ)境内の一室にて平成21年に綴れ織り制作をスタートさせたのが「手織や 虚籟庵」の始まりです。
古代から伝わる
「綴れ織り」の歴史と技法
「綴れ織り」の起源は古く、西アジアにおいて始まったといわれています。その後東西に広まり、コプト(エジプト)やタピスリー、ゴブラン織(フランス)など、世界各地において古くから製織されている最も原始的な平組織。日本には奈良時代に中国から伝えられ、明治時代には美術作品も見られるほど盛行し、海外に輸出されるまでになりました。
綴れ織りの祖
遠藤虚籟
遠藤虚籟は本名を順治といい、明治23年(1890)12月20日、山形県田川郡大宝寺村(現在の鶴岡市宝町7丁目付近)に生まれた。明治39年(1906)、16歳の虚籟は画家を志し、旧制庄内中学校を退学して上京。苦学して大平洋画会研究所で中村不折に師事し、専らデッサンを学ぶ。しかし生活の糧を得るためのアルバイト等の過労がたたり、やがて健康を害した虚籟は、画家になる夢を断念せざるを得なかった…。